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朝ドラ、ひよっこの舞台、30年代就職事情

朝ドラのひよっこの時代背景は、昭和39年で高度成長期の真っ最中ですね

ひよっこは、茨城県県北の寒村部、高萩市の山間部を舞台としていますね

ドラマでは就職先として東京を目指すに至る心境、理由が主ですが、ストーリー同様の地域事情は現実の傾向として見られる時代背景はあったのです

 

生活事情はといえば現在の便利な世の仕組みは当代には存在せず、現代に生きる感覚からは想像だにできない...厳しさがあったと理解します

 

ドラマを見て...ですが?

TVがある...ま、確かに東京オリンピックに合わせてTVは、各家庭に普及した

様子も見られます

それ以前は、TVの無いおうちも多く見られた

 

各家庭に電気が送電されたのも30年代ですね

寒村部では後半からでしょうか

 

電話ですか?39年なら結構普及していたと記憶しておりますが?

 

さて、こんなご時世の就職状況は...というと、学業を終えたら都会方面へと向かうが

世の風潮という時代...

 

昭和30年代の就職状況(おおまかに....)

過去の表現が懐かしいですが、地方から都会の集団就職する人たちを金の卵と

なぞえた時代

日本の高度成長期をささえる労働力として人材を求められていたのは、地方から~

 

集団就職の傾向は戦前から見られていたものの、過去とは異なり汽車なる交通機関が

長期間隔で網羅されたことにより、遠くに就職したとしても季節の節目では帰郷できる

事が可能になった

家を出たら数年に一度しか家族に会えないという.不具合が解消されたため...

 

お正月 お盆は帰郷して家族と楽しく過ごせる.....

 

 

 集団就職は求められる世の事情

戦後期に工場生産システムが大量生産の時代に入り、製造業界では単純労働力を必要としていた

賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、三大都市圏の転入超過人口の合計が40万人~60万人とも言われた

 

義務教育のみしか卒業していない(後期中等教育を受けていない)中卒者を送り出す側の事情として、特に1970(昭和45年)頃までの地方では、家庭の所得水準が低く高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かったので、子供が都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えが、保護者にも学校側にも存在した

こうした状況の下、中学校も企業の求人を生徒に斡旋して集団就職として送り出す傾向だった

東京都特別区の工場街・商店街のある足立区・葛飾区・大田区墨田区・新宿区・光徳などでは金の卵と呼称された中卒者が多く居住した地区

また、埼玉県の都市部近郊 神奈川県の川崎工業地帯も就職先として送り出された

地区である

1950(昭和25年)に都会では教育熱で学歴インフレが進んでいったので、中学卒業後に就職者が多かった東北や九州などの地方に求人募集の的を絞り、中卒者の求人倍率は、1952(昭和27年)に1倍を超えて、団塊の世代が中学校を卒業した1963(昭和38年)~1965(昭和40年)には、男子・女子とも求人倍率は3倍を超えていた。

 

こういった社会状況は、東北ばかりではなく、関東地域でも、地域や家庭状況によりどこでも見られた

 

昭和29年ごろであれば、まず中学を最終学歴として就職する例も多く見られたでしょう

以降、高校へ進学する割合も高まってきます

 

兄弟が5人とか8人とかの子だくさんの傾向も減少へとすすみ以降は2人か3人が普通の子人数へと変化していった

 

子に男子がいれば長男が家督を継承する

そして、以下の子は女子でも男子でも家を出る...

就職のため家を出る...家族の理解もあるとはあると思いますが、

高校を卒業後7割が都会へ、埼玉や神奈川に向かう例は現在より多くございました

 中卒でもその傾向は見られた

 

なぜ、都会へ向かうのか?....不便な地域?...寒村部...

通える近場にお仕事場が無い...

でも、各地の学校には都会及び近郊からの就職要請は多くあった

 

長男以外の子は学業を終えれば家を出る...生活の安定を考えれば田舎に身を置くより

家を出ても人並みの生活を営む環境を手に入れるための術...

それが当時の時代背景だったんでしょうね

 

都会に向かう例は、やはり交通が不便な地域でありが比較的高い割合は女子が

占めていた

当時は、現在とは違い女子が運転免許を所持するなど考えもしない傾向があったんです

現在なら高校卒業前に運転免許を所得する例は多くございますが、女子が免許を

持つという例も多く見られないその当時

まして、教習所もございませんでした

 

交通の手段として車がつかえないなら、通勤するにしても範囲は限られるわけで

致し方無い事情だったんでしょうね

 

...というより、車でお仕事に通う女子等という景色は想像すらする人いない時代

 

交通の不便な地域で生活するより、子の将来を踏まえれば都会で働いて幸せになってほしい...

そんな親心も...

しかし、昨日まで一緒に生活していたわが子を駅で見送る

もう、しばらくは会えない...

見知らぬ地で無事に生きていけるのか

つらい状況で耐えられるのか

 

いたたまれない心持ちであったでしょう

はるかに遠い都会に子を送ってしまう...寂しい、不安、

親であるが故の悲しい事情...どうにもならない地域事情...

辛かったでしょうね

 

でも、親のさみしさを子は知らず

東京という大都会に夢を希望を抱いて旅立ちしてゆくんですね

 

 ただ、ここでいうの本当の田舎事情であり、町場の状況で見るとやや傾向は

薄れるかもしれません

 

帰省シーズンとなると、県北に所在する各家に埼玉、東京、神奈川ナンバーの

車が居並ぶ景色が見られます

 

各家の子たちが実家に帰ってきているという風景でしょう

 

 

現在は、以前より子が少ないため都会へと就職する例は減少しております

確かに生活水準も過去に比べて向上しておりますし...無理に都会を目指す必要もない

しかし、都会の大企業などはいまだに当地からの人材を高校に求めている事情はいまだある

また、過去時代とは異なる理由で都会を目指す人もおりますし..

ま、それはそれでと理解しましょうか